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初めてのiMac [過去の日々]

社会人になって初めての冬が来た頃、iMacを購入しました。

暮らしも落ち着いてきたし、趣味のDTMに本腰を入れようとして、ボーナスを使って買いました。

真っ白い筐体のマシンは当時それ以外に無く、僕はそのマシンのスマートさ、シンプルさが単純に「新しい、かっこいい」と思いました。それまではSonyのVAIOをずっと使っていて、Windowsパソコンとしてはあたりまえの余計なアプリケーションが最初からインストールされている、というものしか知らなかったので…。

「必要なものしか見えない」iMacのシンプルさが、僕に影響したことは間違いありません。

スティーブ・ジョブズ氏がiPodから始めたApple製品による数々の改革が、2000年代以降の世の中に与えた影響、というのは僕などがあらためて言うまでも無く、いろいろな場所で言われていると思います。
その中で、「デザインというもの」についての考え方、あるいはもっと言えば、「どういうデザインが良いとされるか」という価値観そのものについても、Apple社の与えた影響は大きかったのではないでしょうか。

シンプルライフ、ということは昨今、世界中で言われていることで、いろいろな側面からも支持・提案されていると思いますが、そのひとつの要因としては、Apple社がシンプルなインタフェースを広めたこと、があると思います。
Apple社の洗練された製品を使ううち、それを使う人の価値観も変わってくる、ということです。
これまでにこんなことを成し遂げた偉大な企業が、他にあったでしょうか…!


…つい熱く語り過ぎ、脱線してしまいましたが、つまるところ、
iMacを買って、シンプルな画面で遊んでいるうち、シンプルっていいなぁ、とより強く思うようになってきた、ということです。


新生活@東京 [過去の日々]

新入社員として生活を始めてしばらくは、新しい環境に慣れるので精一杯でした。
新しい仲間、新しい環境、そして初めて住むこととなった東京という大都会。
なにもかもが目新しく、はじめの数ヶ月はめまぐるしく、過ぎ去っていきました。

そんな日々で、与えられた寮の部屋は4畳半。
お風呂は大浴場があったり、洗濯機は共用のものが廊下に設置されていたりと、生活に必要なものは別に用意されているとはいえ、それまで北海道の広い賃貸アパートに住んでいた身としては狭苦しかったと思います。
それでもなんとか適応できていたのは、きっと、引っ越しの時に感じた「モノは少なくてもいい」という思いがあったから、だと思います。


そして、この頃から僕はテレビを観ない暮らし、を始めます。

僕は、根っこの性格としては生粋のテレビっ子であり、夏休みには「笑っていいとも」を見てから遊びに行くような少年でした。
その習慣は、大学に入ってからも変わることは無く、暇なときは昼前に起きてベッドに寝そべったまま「いいとも」を見てから大学へ行く、というような暮らしぶりでした。(いまとなっては、なんて勿体無い過ごし方か、とも思いますが…後悔先に立たず、とはまさにこのことでしょう)

そんな僕でしたが、会社に入った頃から、「忙しい社会人がテレビなんか観ていたら、時間がいくらあっても足りないぞ」と考え始めました。
実際のところ、寮の仲間と話したり、会社から取るように言われていた資格の勉強があったりと、とても忙しかったので、この選択は正解でした。

さすがにすぐ捨てることは出来ず、とりあえずテレビを押入れの奥にしまいましたが、テレビを観る習慣が復活することはなく、数年後には不要品収集業者に引き取ってもらいました。

この時からずっと、テレビを持ったことはありません。


ただの大学生(5) [過去の日々]

その日。退去の前日。

不要なモノは、その日までに、自分(と友達)でなんとか処分を終えました。
必要なモノは、引越業者が引き取って、無事、新たな転居先の東京へ、送りだされていきました。

あとに残ったのは、入居時のままの、広い部屋でした。
(正確には、布団がひとくみ、残っていましたが…)

この時、雷が落ちたような衝撃を、僕は感じました。
おおげさでなく、その衝撃を、僕は今でも忘れることが出来ません。

僕が住んでいたのは、こんなに広い部屋だったのか。
そして、大学在学中の4年間、この広いスペースをモノで(しかも、そのほとんどを不要なモノで)、占領していたのか…と。

入学の時に適当に揃えた家具・家電や、生活する中で無意識に増やしてきたモノが、もともと広かったその部屋をとても狭くしていたということに、初めて僕は気づかされたのでした。

それまでに、何人か、女子の友達が部屋に来ることがあったけど、口には出さないまでも、汚い部屋だなぁーなどと思われていたのじゃないか…。
この部屋に不満を感じたことは別に無かったけど、もし、もっと早くこの部屋を広く使う、ということに気付けていたら、もっとこの部屋での生活を楽しめていたのじゃないか…。

ただ部屋が広いことに気づいた、というだけでなく、いろいろな思いが巡ってきました。

あるいは。もっと言えば。

この部屋で暮らした「4年間そのもの」をやり直してしまいたい、というような、反省やら後悔やらの念がいろいろとないまぜになったような、そういう思いがこみ上げてきた、といってもいいかもしれません。

旅立ちの季節がもたらしがちな一時的な感傷だけではなかったと、思います。

とにかく、「ただのお引っ越し」というイベントが、大きな体験となって僕に衝撃を与えることとなりました。


…そして、その衝撃がその後も影響してくることになるのですが、この時点では、まだそのことに、気づいていませんでした。

ただの大学生(4) [過去の日々]

不要品を処分しているあいだも、数日間ではありましたが、その部屋での生活がありました。

ベッドを捨てたり、冷蔵庫を寄付したり、と、だんだんと部屋から今まで使っていたものがなくなっていくのですが…
このとき気づいたことは、「それほどモノが無くても、不便ではないな」ということでした。
こわれかけ(ほぼ、こわれていた)のベッドが無くても、マットレスと布団があれば眠れるし、ベッドの下にしまっていたものは、段ボールなどの、要らないものばかりでした。

冷蔵庫が無いのは不便だけど、実際、料理はそんなにしないし、お弁当を買ったり、というのも(数日なら)耐えられる…。

それまでは、意識しないながらも、生活に必要だと思っていたモノが、実は必須ではないこと、あれば便利だけど、無くてもなんとかなるなぁ、ということに、だんだんと、気付いてきました。

なによりも、無駄なモノがない空間には、ホコリがたまらず、快適だ、ということがわかってきたのです。
大学生のころは、常に軟膏を塗るほどのひどい皮膚炎に悩まされていたのですが、東京に引っ越してからはそれがなくなりました。
花粉などのアレルギー源のせいもあったかもしれませんし、飲料水が違う、ということもあったのかもしれませんが、もしかすると、汚い部屋で過ごしていたことが原因だったかもしれない、と今となっては思ったりもします。

そして。いよいよ退去の前日。僕が最大の衝撃を受けた日がやってきました。



ただの大学生(3) [過去の日々]

単身パックに必要なものを詰め込んで、そのあと部屋に残ったものはすべて処分する必要がありました。
もう退去の日取りも決まっているのですから、アタリマエですよね…(笑)

不要品を業者に取りに来てもらうには、時期的に遅すぎました。(引っ越しシーズンの3月では、不要品を処分してもらうには、もっと前に申し込まないとダメ、ということでした…orz)
いらなくなったものは、自分でゴミ処分場に持ち込むことが必要でした。
当時使っていた軽自動車に、荷物をたくさん載せて捨てに行ったのは、いい思い出です。処分場までの道の途中で、同じくモノを始末している同窓生たちと、たくさんすれ違いましたね…。

適当に買ったもの、とはいえ、4年間使ったベッドを手放すのはすこし罪悪感を感じました。
(余談ですが、このベッドは安いながらも、リクライニング機能がついて、病院のベッドみたいにすこし角度をつけられるタイプのベッドでしたが、もはやパイプがひん曲がって使い物にならないまま、使い続けていました。ほんとうに、なんで買い替えなかったのか、いまだに疑問です)

洗濯機は中古品のお店に持ち込んで買ってもらいました。やはり繁忙期のせいで、業者から「持ち込んでくれたら買えますが、引取りには行けません」と言われました。
洗濯機は大きすぎて持っていた自分の軽自動車では積めなかったので、しかたなく軽トラをレンタルして、運転のうまい友達に運転してもらって、やっとこさ持ち込んだのでした。
「行動が遅いと、いろいろと経費がかさむ」、という教訓です。

趣味で買った電子ドラムは、軽音楽部の後輩に譲りました。
冷蔵庫は、大学の研究室に寄付しました。

そうして、いろいろと手間をかけて、やっと処分し終えたのでした…。
たくさんのものがあると、その処分にも手間がかかりますね。

…すみませんが、まだ、続きます(笑

ただの大学生(2) [過去の日々]

引っ越しは、クロ○コヤマトの単身パックを使いました。

引越し先は独身寮で、洗濯機など必要なものは完備されているため持っていく必要はなく、部屋での料理が禁止されていましたので、炊飯ジャーなど料理に関するものは持ち込めない、とのことでした。
また、寮の部屋はとても小さい、と人事の方から言われていましたので、持っていく荷物はとにかく厳選しなくてはなりませんでした。

このとき僕は初めて、「使うか、使わないか」という目で自分の持ち物を見なおす機会に恵まれたのです。
シェークスピアの作品で「To be, or not to be(生きるべきか、死ぬべきか…)」というセリフが有名ですが、まさにこの時、「小さな単身パックに詰め込むべきか、そうでないか」という局面だったわけです…(おおげさだと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、この時の僕にとってはそれくらいの一大事でした)

そして始めた部屋の片付け…

こわれたベッドは持っていくか?…布団があるから、持っていかない…
鍋はどうする?…必要ない…

かなりたくさんのものが、「持っていかないもの」に分別されました。

いかに少なくまとめるか?という考えのもとに自分の持ち物を見直すと、必要なものは本当にごく少し、だったのです。

この時は、「入居先が狭いため、余計なものはもっていけない」という制限を、自分ではなくて外(会社)から課された、というわけですが、結果として、自分がシンプルな暮らしを志すこととなる貴重な第一歩となりました。

まだ続きます。

ただの大学生 [過去の日々]

はじめまして。

ご訪問ありがとうございます。
このブログでは、主に整理や収納、シンプルな暮らし、などについての情報を広めていきたいなぁと思っています。

★ ★ ★

まずは、プロフィール代わりに、ただの大学生が、どのように僕が整理・収納が好きな変な人間(笑い)になっていったかについて、お話したいと思います。

★ ★ ★

当時、僕は大学生でした。
そして、整理・収納とも「シンプルな暮らし」とも縁のない普通の学生でした。

軽音楽部に所属していたこともあり音楽を聴くのが好きだったため、部屋には購入したCDやら、自分で作ったCD-Rやらが無造作に積まれていました。家具も大学に入ったころ、近所で買った安いものを、適当に使っていました。

ごみについても意識は低かったです。残飯などを燃えるゴミの袋に適当に突っ込んでいましたし、袋をゴミ捨て場に持って行くのもたまにしか、していませんでした。夏場には小さな虫がその袋から飛び出してくる、というようなことも当たり前でした(若さって、恐ろしいですね…)。

また、今ではちょっと考えられないことですが、家電やら趣味の楽器やらを包んでいた段ボールなどの梱包材も、いつか使うだろう、ということで、そのまま部屋に置いてありました。入学から4年にもわたって、なんの役にも立たないものを部屋においていた、ということです…。
大学が北海道だったため、学生にしては広めの部屋に住むことができていましたので、そういう「スペースの無駄遣い」が可能だったのかもしれません…。


とにかく、当時の僕は、そういう無頓着な、ただの学生でした。

そんな僕でも、就活をなんとか終えることが出来、就職するにあたって、東京にある会社の寮に入居することとなりました。
そして、引っ越しが決まり、得意とは言えない荷造りと、ごみやら不要品やらでいっぱいの自室を片付る必要性にいよいよ初めて、迫られたのです。

続く…
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